インストラクターの声

ユマニチュードで学んだ“ひとをケアする”哲学。
そのひとらしく生きることができるケアは、みんなを幸せにする。

金沢 小百合
ユマニチュード認定インストラクター / 看護師
IGM-Japon合同会社 所属

あなたはケアをしていて幸せですか?

私の“ユマニチュードの恩師”ともいえる方がいます。かつてドクターとして活躍され、重度のアルツハイマーで入院されていました。看護師がケアしようとすると、罵声を浴びせる、腕をつねる、唾を吐くといった行動が激しく出ました。新人の看護師は怯えてしまい、私たち経験を重ねた看護師も病室に入るときは「よし!」と自分を奮い立たせて入っていくという状況でした。

私が働いていた特別個室病棟は、長期療養されているご高齢の方が多かったのですが、チームの雰囲気はとても明るく前向きでした。できるだけみなさんに体を動かしてもらい、抑制も必要なときだけに限定する。一人ひとりの状況はみんなで共有してフォローしあっていました。一生懸命ケアして優しさを届けたいという気持ちは、人一倍強い。それでも伝わらない現実があり、八方塞がりだったのです。

当時、私は副師長として、病棟の看護ケアの質を上げる役割を担っていました。それがうまくいかず悩んでいたとき、ユマニチュードに出会ったのです。初めて受けた研修の講義で、ジネスト先生に「あなたはケアをしていて幸せですか?」と聞かれて、ガツンと頭を打たれました。バーンアウト寸前で、自分の「幸せ」を軸にケアを考えたことなどなかったのです。

最適なケアの答えは「ケアされるひと」にある

ジネスト先生の講義を受けていくうちに、これまでの自分に足りなかったことがだんだんとわかっていきました。看護の仕事は自分なりに懸命に取り組みましたし、相手に優しさを届けたいという気持ちもある。でも、私に足りなかったのは “ケアするひとは何者か”、そして“ひとをケアする” という哲学だったのです。ケアするひとは何をすべき存在なのか? 相手にとって健康の回復とは何か? その根本的な哲学なしに、ただ目の前で起きていることに対処するために必死に仕事をするひとになっていたのです。

その哲学がないと、目の前のひとを“患者”という枠に入れてしまい、相手が人間であり、自由と自律がある存在ということが置き去られてしまいます。たとえば、朝、体が不自由な方の病室を看護師が訪ねます。ある看護師は「いい天気だからカーテンを開けましょうね」と言ってカーテンを開けます。別の看護師は「まだ眠そうだから、このままにしておきますね」と話しかけます。どちらがその方にとって幸せでしょうか。

答えを知っているのは、本人だけです。一番いい方法は「カーテンを開けますか?」と聞くことです。もし、その方が「開けたい」と答えたら「ご自分で開けますか?」と本人の意思をたずねます。「はい」と返ってきたら、その意思を叶えるために行動を助け、できるだけ体を動かしていただく。そうすることで、たとえ病院であっても、そのひとらしく生きていける一助ができるのです。

私たち看護師は、相手をかいがいしく介助することがケアだと考えがちです。でも、相手は自由と自律をもった人間であり、そのひとの人間性を尊重する哲学をもたなければ、ひとを幸せにするケアはできません。そして、ご本人が体を動かすことが、何よりも健康の回復につながるのです。そこを置き去った頑張りは相手に届かないので、ケアをする私たち自身も、この仕事に幸せや誇りを感じることがむずかしくなっていきます。

一人のひととして会いに行く気持ち

かつては仕事を終わらせねばという義務感から病室のドアの前に立っていた私ですが、ユマニチュードを学んでからは「一人のひととして会いにいく」という気持ちでドアの前に立つようになっていました。その気持ちで病室を訪ねると、その方との間に確かなきずなが生まれて、私自身もケアすることに幸せを感じられるようになったのです。

こんなにもひとを幸せにするユマニチュードの哲学とそれを叶える技法をもっと広めていきたいと考え、私はインストラクターになりました。実際の研修で「見る」「話す」「触れる」「立つ」の技法をロールプレイで実感してもらうと、ユマニチュードの技法がどう相手に届くのかを身をもって体感していただくことができると思います。そこから、ケアは変わりはじめます。

ユマニチュードは、認知症をお持ちの方だけでなく、コミュニケーションがむずかしい方、障害をお持ちの方との関係づくりなどあらゆるケアの現場で役立ちます。そして、誰かをお世話する、あるいは、誰かに頼り頼られる日常生活の関係性においても、ひとのきずなを深める4つの柱を再認識する機会となると思っています。ケアが辛いと感じる方、何のためにやっているのだろうという気持ちを抱えている方は、ぜひユマニチュードをご自身で感じてください。ケアは楽しくて素敵な仕事だと、あらためて誇りを感じていただけると思います。