インストラクターの声

ケアの現実を変えていく勇気をもって、
ひとの生きる力を尊重する看護をめざそう。

佐々木 恵未
ユマニチュード認定インストラクター / 看護師
IGM-Japon合同会社 所属

看護の理想と現実のジレンマを解決する道がある

私がユマニチュードと出会ったのは、SCU(脳卒中ケアユニット)の病棟看護師として働いていたときです。SCUは脳出血、脳梗塞、くも膜下出血の患者さんを集中治療する急性期病棟で、意識障害や呼吸障害、半身麻痺など症状はさまざま。日々いろいろなことが起こる戦場のような職場でした。

その日の夕方も緊急手術が入ったり、暴れる患者さんの病室に駆けつけたりと慌ただしく働いていたのですが、ふと後輩看護師と患者さんに目を向けると、そこだけ雰囲気が違っていたのです。その方は、点滴や酸素吸入の管を引き抜いてしまったり、突然奇声をあげて騒ぐことがあり、看護師はみんな対応に困っていました。でも、後輩は微笑みながらその方を優しくさすっていて、その方もニコニコとおだやかな表情を浮かべていたのです。そんな様子を今まで見たことがありませんでした。あとで後輩に聞くと「ユマニチュードというケアの技法なんです」と教えてくれたのです。

当時の私は、大学病院の救急病棟(救急外来)で働いたのち、地域の病院で慢性期の患者さんの継続看護や退院後介入も経験し、看護師として経験を積んできたつもりでした。でも、SCUはこれまでの経験とは異なり、戸惑うことが多くありました。SCUでは、脳の障害で意思疎通が難しい方や意識が混濁した重篤の方の身の安全を守る必要があり、抑制や精神薬の投与は日常でした。やむなく抑制するときは、患者さんから罵声を浴びさせられることもあれば、泣かれて懇願されることも。そんな瞬間、「私は何をしているんだろう」という思いが頭をかすめました。「優しく頼られる看護師でありたい」「患者さんに寄り添い、笑顔になってもらいたい」そう思ってきたはずなのに、まるで違う現実にジレンマを感じずにはいられなかったのです。

上司に相談すると、「気持ちはよくわかる。みんなが抱えているジレンマだよね」と受け止めてくれました。これはもう仕方がないのかとあきらめ、自分の中に飲み込もうとしていたときでした。どの看護師にも手に負えない方が後輩のケアでニコニコしている姿を見て、「一体、何をしたの?」「後輩にできるのに私にはできないの?」という思いが湧き上がって、何か一つでも学びとろうとユマニチュードを学ぶことを決めたのです。

生きる力を最大限引き出せるケアとは

ユマニチュードの研修を受けて、私はカミナリに打たれるぐらいの強い衝撃を受けました。私が想像していたノウハウを学ぶ研修とは違って、「私が看護師としてやってきたことは本当に正しかったのかな」と根底を覆すような学びの経験だったからです。

ユマニチュードは4つの技法の一つとして、「立つ」ことを重視します。なぜなら「立つ」ことは、ひとの尊厳そのものだからです。赤ちゃんが初めて立つ瞬間は、まさに人間としてアイデンティティを確立する第一歩で、生涯そのひとを支えます。人間の体そのものが、立つことで心と体の健康を維持できるようになっているのです。だから、ユマニチュードでは1日20分ずつでも立つケアを続けることで、亡くなるその日まで立つ機能を維持させる明確な技法を確立させているのです。

私はSCUという急性期病棟にいたので「患者さんが立つ=危険」という意識を強く持っていました。体を起こすだけで命にかかわる方、麻痺が進行する方もいれば、リハビリが進んで介助があれば立って歩ける方もいました。でも、意識障害や認知症があればやはり危険なので、多くの方は抑制したり、立たないように声をかけていました。何度も立ち上がろうとする方には、テーブルと壁の間に車椅子を置いて体を動きにくくすることもありました。もし頭を打ったり、骨折をしたらと思うと、立たない方がいいし、それが本人のためだと思っていたのです。

でも、研修を受けて、自分がよかれと思ってやってきたことは違っていたのかもしれない、相手の健康になろうとする力を私が奪っていたのかもしれないとショックを受けました。でも、ずっと抱えてきたジレンマを解決する答えはここにあるとも感じたのです。目の前が晴れていくような気持ちになりました。

病棟に戻ってユマニチュードのケアを実践してみると、驚くような変化が起こりました。入院以来、ひとことも言葉を発しない方がいたのですが、ユマニチュードの「見る」「話す」「触れる」を同時に行うケアをしたら、たった1時間ほどで話し出したのです。あまりに驚いて幻覚じゃないかと思ったのですが、それを見た同僚も「本当は話せる方だったんだね」「私たちの関わり方で患者さんは変わるんだ」と感慨深げでした。そして、その病棟からは一人、また一人とユマニチュードを学ぶ看護師が増えていったのです。

ユマニチュードの輪を医療の現場で広げていく

それから病棟での看護は少しずつですが、変わっていきました。ユマニチュードを学んだ看護師が揃った夜勤では、毎晩行動が落ち着つかず、薬を内服してもらっている方を「今日は投薬なしで過ごしてもらおう」と学んできたユマニチュードの技法で関わりました。すると、薬を服用しなくても穏やかに過ごして朝を迎えることができたのです。ただ、看護師が交替すると、またいつもの薬剤投与に戻ってしまう。ユマニチュードを継続看護につなげるむずかしさに直面したのです。

そこで、より多くの医療者が学べる環境を広げていくため、そして、私自身ももっとユマニチュードを深めていきたくて、インストラクターを目指すことにしたのです。そして、病院を辞めて、時間をかけてユマニチュードをじっくり学びながら、ケアするひとのあるべき姿を一つひとつ見直していきました。

私たちが働く医療機関は「患者さん中心の医療」「患者さんの尊厳を守る」などの素晴らしい理念を掲げています。そして、その理念を大切にしたいという医療者が集まって必死に働いているはずなのに、なぜか現場では真逆の現象が起きていることが少なくありません。そこで働くひとたちが、もし「ケアが楽しくない」としたら、ユマニチュードを学ぶことで「ケアってこんなに楽しいんだ!」「私までうれしくなるんだ」と実感できる変化がおとずれるかもしれません。

病院や施設でのケアのあり方を変えていくには時間がかかるかもしれませんが、ユマニチュードを実践する人が一人でも増えれば、かつて私が後輩を介してユマニチュードに出会ったように「私もやってみたい」と思うひとがかならず現れるはずです。そんなプラスの輪をみなさんと一緒につなげていければと思います。